こんにちは
「批判を疑え」というタイトルのメッセージ聞いたことありますか?
私が、たまたま、目にする機会があって、私自身を変えるきっかけになったメッセージなのですが、内容は、後で紹介します
数年前の近い話になりますが、私は、どんなことにでも、批判的な視点や考えを持っていて、いつも批判に満ちた意見をしていました
他人のことを、認めるということはなかったかもしれません
人とは違う、批判をすることで、優越感を得ていたように思います
ちょっと、ややこしい、存在だったかもしれません
ある日、阪急電車(関西の私鉄)に乗った時のことですが、先頭車両に
という見出しの交通広告
を見つけました
批判を疑え・・・
この世の中には、批判で満ち溢れています
批判とは、良いこと、悪いことを、評価したり評定したりすることで
批判の内容には、良い批判と悪い批判があります
私の批判は、悪い批判でした
「批判を疑え」を知っていただくだけで
批判するだけで終わるのではなく「どうすれば良いか」まで、考えなければいけない
批判のほとんどは、自分が優越感に浸るための批判になっている
批判を疑え
批判を疑え、関西にある神戸女子大学が掲載していた交通広告です

批判を疑え
誰かを批判しているとき、無意識に、自分が偉くなった気分になっているのは、なぜだろう。
いつのまにか批判が非難になっているのは、なぜだろう。
反対のための反対ではなく。この現実を少しでも良くするための批判になっているだろうか
「まだ知らないことがある」って謙虚さから、「ほかの視点もあるかもしれない」って、しなやかさが育まれるように
この世界が完璧じゃないかぎり、足りないところなんて、いくらでもあるのだから
それを見つけただけで得意げになるか、どうすれば、よくできるだろうと、前向きになるか。
野次馬ではなく、当事者でいるために、私たちは、学びつづける
私はまだ、私を知らない
神戸女子学院大学
引用元:神戸女子学院大学ホームページ
批判による優越感
批判を疑え
神戸女子学院大学の交通広告に出会うまでの私は、身近なできごと・社会で起きていること、色々なことに批判的でした
批判的な思考を持って、日常的、状態的に、他人を批判して、それを周りにいる人に披露して
「そうだそうだ」
「そのとおりだ」
と賛同をしてもらって満足し、自分のした批判を正しいものと、自画自賛していました
批判的な考えを披露して、同感を得ることで、満足していたのでしょうか
自分が当事者でもないところで、批判をしていたことがほとんどでした
なんの責任もないところで、批判をする・・・なんの責任もないので、気楽に批判することができていたと思います
身近なできごとに対しても、批判することによる優越感を求めて、「こうあるべき」「あれは間違ってる」などと強烈な言葉で批判を繰り返していた
他人が私を注意できないほどに強烈な批判をすることで、自分の存在価値を高めて、有頂天になっていた
仕事でも、人間的にも、実力なんてないのにです
そんな有頂天の真っ最中の時に、ふと目に飛び込んできたのが阪急電車内に掲示された
「批判を疑え」
の広告は、有頂天になっている私を戒めるためのメッセージでした
ちょっとした衝撃がはしりました

偉くなった気分になる批判
「批判を疑え」
私の批判体質を根本的に見直すきっかけになりました
偉くなった気分になるための批判だった
自分本位でしか考えていない傲慢なな批判だった
打開や改善のためではない、単なる批判に過ぎない批判だった
負け犬の遠吠えと同じ
世の中は完全ではなく、欠陥や欠点、改善が必要なことは、いくらでもあるもの
それを見つけ出して満足するだけの批判は、批判とは言えない
多方面からの視線で物事を見て、
ポジティブな考え方と改善する姿勢を持って行動し
新しい気付きと、行動ができるように、普段から、学び続けなければならない
正しい批判って、批判っぽくないですよね
私が批判だと思っていた批判は、批判ではなかったのです
批判とは「良いところ、悪いところを見つけて、評価や評定すること」だそうです
私、この日から批判することをやめることにしました
※ 浅はかにも、まだまだ批判すること、あります
と言っても、「批判を疑え」から
何かを良くするために、改善点を見つける
知識を身に着けて、見つけることができる人になる
行動をする
「日々、成長を求めていこう」と思いました

いかがだってでしょうか
「批判を疑え」
少し考え方を変えることで、心が豊かになれるように思います
批判すると気持ちいいもんです、必ず、偉くなったような気分になってしまうものです
批判すること・・・もう、やめちゃいましょう